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地方ニュースより… [郷土史・薩摩藩]

義弘公を大河ドラマに NHKに鹿児島県知事ら要請

茉莉花「マスターのご機嫌が斜めです」
いや、島津をもってくるのはかまわんけど主人公(笑)は義久の方がいいんじゃない?
つーか、義久プッシュしろよ、鹿児島県。
茉莉花「なんで?」
いやね、宮崎に来て本格的に島津の資料とかを読むようになって、惟新公御自記とか見ると…うさんくさいw
茉莉花「えー(゚Д゚;)」
多分だけど、義弘顕彰って家久(悪)が一生懸命やって、自身の正当性を主張して義久系の諸家を貶めるためにやったような気がする。
茉莉花「さすが家久きたない…?」
まあ、家久自身公儀に認められた当主ってことも領内では主張したいだろうからわからなくも無いけどね…
茉莉花「じゃ、義弘自身も当主になる気満々だったとか?」
うーん…それはどうだろうね。本気でお兄ちゃん大好きだったかもしれんし、棚ぼた式に当主の座が転がり込んでくるってことも考えたかもしれん。
茉莉花「ま、その辺は歴史の闇の中ですね」
んだね。逆に義久顕彰をやったのは光久や綱久、綱貴それから佐土原島津家あたりじゃ無いかと思う。
茉莉花「親への反発ですかねw」
義久と家久、家久と光久、仲悪そうだもんなぁw

茉莉花「というわけで、鹿児島県も尚古集成館もそろそろ本気で島津義久の資料研究をしてください」
あまりにもお兄ちゃんが哀れだ…ついでに、じめさあもかわいそうだ

茉莉花「そういえば今月の歴史読本、松尾千歳先生が義久と義弘のお話を書いてますね」
ま、ありきたりのことしか書いてなかったですが…もう少し義弘以外の兄弟の話も書いて欲しいですよねぇw

大口へ行ってみました [郷土史・薩摩藩]

親指武蔵こと新納忠元が地頭として治めた地、大口。
妖狐「新納氏が治める前は菱刈氏が治めていたんですけどね」
まあ、島津氏の北上によって1569年に球磨へ追い払われたわけですが…
大口という町の特性。
妖狐「すさまじいまでの盆地!」

3D地図で見ればわかりますが三方を峻険な山が囲んでいます。
妖狐「えびのから直接大口へ抜ける道を通りましたが…これが国道デスカ~ッ!っていう道が延々と続きます」
栗野から迂回した方が早かったかもしれませんね~

妖狐「3D地図で確認すると…まあ、橙が直接大口へ行く道、緑が栗野経由…直接行く道はなんつー高低差」
でもほんの少し期待の持てる話が…途中、新しい道を造っていました。
妖狐「所々…ですがね」
死ぬまでに完成できるか?
妖狐「それ、九州じゃ洒落になんない(^^;;;」

まあ、今回は木崎原合戦のとき新納忠元が真幸へ救援に向かう道を検証しただけだから…
妖狐「とはいえあの道を6時間で駆け抜けたのは凄い!」

あ、とりあえず大口の名所らしい名所へも行ってみましたよ。曾木の滝とか…

曾木の発電所跡とか…

高千穂牧場とか!

妖狐「いや、高千穂牧場は都城だから!」


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